連載企画〔丸山の歴史〕【第1回】

2023/05/27

1、縄文・弥生時代の丸山

  ―2丁目の造成地から縄文式土器が出土―

 私たちの住む船橋市丸山には、いつ頃から人が住み始めたのでしょうか。
 令和3年(2021)10月、文部科学省の文化審議会の答申(史跡等の指定等)により、県道・船取線沿いの飯山満町から米ケ崎町にかけての標高約25mの台地上にある「取掛西貝塚(とりかけにしかいづか)」が船橋市では初めての国の史跡に指定されました。
 発掘調査の結果、約1万年前(縄文時代早期)と約6000年前(縄文時代前期)という2つの時期の貝塚を伴う集落跡が見つかっています。丸山についても、この頃から人が生活していたことが推測されます。
 船橋市域には、約200か所の旧石器・縄文・弥生時代等の遺跡群が発見されていますが、不思議なことに丸山からは、これまでに発掘の話を聞きません。近隣の藤原8丁目の「八人割」、夏見2丁目の「夏見大塚」、二和西1丁目の「西の台遺跡」、海神5丁目の「海神台」、西船橋の「印内台」など、多くの遺跡がありながらです。船橋市郷土資料館の職員さんの話によると、丸山は昭和30年代に、初めは別荘地、次いで住宅地として急激に土地開発が行われ、その際、建設業者が偶然に土器などを見つけても工期が遅滞しないように届け出をしなかったのではないか、と冗談まじりに、また市の側も、遺跡に注意し始めたのは昭和40年代に入ってから…、と話してくれました。
 このようななか、平成になってから(平成21年頃)、丸山2丁目の雇用促進住宅宿舎前の空地造成中に、縄文時代の土器が出土していたとの情報を得ました。やはり市の調査のため、工事は約6か月間ストップとなり、近所の人からは、「丸山は高台で日当たりが良く、谷津に囲まれ水の調達も容易で、生活し易い処だったのでは…」と古代の人への想い
を語ってくれました。丸山には、まだまだ太古の遺跡が眠っているのかも知れません。
 
『丸山町会60周年記念誌』に掲載されました「丸山のあゆみ」に加筆して作成しています。

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所在地 船橋市丸山3丁目4番5

電 話 047(438)7172

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